株式相場回顧談 無惨無二6362石井鐵工聖戦敗戦の裏話

自分の相場史上最大の失敗作 石井鐵工は他人の推奨銘柄だった。

2000年からネット掲示板に僕はデビューした。
文章の面白さと銘柄の当たり具合が評価されて草笛ファンが増えた。
当時のネット株式掲示板は今の寂れた掲示板業界とは違って隆盛のど真ん中だった。
僕が投稿していたお気楽掲示板は何万人の読者がいたのだった。

京都で草笛を囲むオフ会をやったとき、一人の株好き青年が名古屋からやってきていた。
彼は名古屋の仕手集団的なグループの一員だった。
彼は僕にある銘柄を一緒にやりましょうと熱心に奨めた。
銘柄の名前は石井鐵工だった。株価は190円台だった。
推奨の理由を聞くと納得できる面があった。

石井鐵工は昭和バブル時代に土地の含み益を材料に2000円大台に乗せたことがある銘柄だった。190円台から始めて200円台を仕込めば大相場に出来るかもしれないと僕は誤解した。

僕は銘柄選びはそれまで自分が霊視して決めていた。
しかし石井鐵工は名古屋の投資グループの銘柄選びに相乗りしたのだった。
名古屋の投資グループと草笛ファンのグループが相乗りで石井鐵工を買い集めれば、強力だと思った。

21年も前の昔には、買い煽りや買い上がりや引け成り買いが当局から大目に見られていた。
仕手株とか仕手集団とか仕手戦とかいう言葉がまだ死語(古語)になっておらず当たり前のように語られていた。

このときの京都オフ会には、すいかさんが参加しておられた。
石井鐵工聖戦に大負けして20年の月日が経った頃、僕はすいかさんに思い出話をした。

「真相を言うと、実は石井鐵工は草笛銘柄ではなくて、 名古屋の投資グループに参戦要請されて参戦したんだよ。
 名古屋銘柄だった。ところが戦いの途中で彼らにはしごを外された。
 草笛とその愉快な仲間が石井鐵工玉をたくさん抱え込む羽目になった。
 それで意地になって無理して戦って大敗北を喫したんだよ」

すいかさんはいつもオフ会に参加しておられ、歴史の生き証人とも言える人である。

「ああ、名古屋の株好き青年が草笛さんに石井鐵工仕手戦に参戦するように要請していたとき、私、あなたの隣でじかに聞いていましたよ。石井鐵工相場は草笛さん発案ではなかったことは私が証人になれますよ」

僕はそれを聞いて留飲が下がった。

「草笛自身が発掘した銘柄をスタート時点からやっていればああいう下手は打たないよ。他人からの参戦要請に乗ると、しばしば、はしごを外されてこっちが膨大な玉数を抱え込まされるケースがある」

6362無惨無二の石井鐵工相場は190円台~200円台を仕込み、表向き1000円突破をプロパガンダしつつ3倍~4倍の600円~800円で売り抜けるというストーリーを僕は脳裏に描いていた。しかし事実は小説より奇なり。
石井鐵工は300円突破したものの、勢いづくどろろか300円台で停滞した。膠着状態が長く続いた。
名古屋グループと草笛ファングループが連合して買い集めているのになぜ300円台で苦戦するのだろう?僕はある日、名古屋の青年に電話をかけた。

「石井鐵工が300円台から上に行かずに膠着状態です。そっちの皆様の買い付け状況、戦闘意欲はどうですか?」

そしたら意外な返事が待っていた。

「おかげ様で石井鐵工で丸々100円幅取れたのでこちらの名古屋メンバーは全員利食って売り抜け完了です。おめでとうございます。絶好調!」

僕は激怒した。

「あのな~~株をやるってことは最低でも2倍、普通は3倍、4倍を狙うものだろうが! 100円幅で利食うなんてありえない!そんな小幅で売り抜けるくらいなら、最初から俺に話を持ってくるな!」

僕が名古屋の青年を怒鳴りつけたことも、なぜかすいかさんは知っていました。僕が名古屋の青年に激怒して付き合いを絶ったときその青年はすいかさんに電話して、「草笛さんに激しく叱られた。100円幅上がって利食ってなんでそれを叱られるのか意味が分からない」とこぼしていたそうだ。

名古屋の青年は僕には参戦要請したとき、すいかさんや他のオフ会メンバーに向かっては
「石井鐵工が300円前後になったら利食って儲けを確定すればいいぜよ」と
語っていたそうです。僕はそういうことを全く知らなかった。

そもそも皆で同じ銘柄を手掛ける以上、たった100円幅の小銭狙いなんて僕の相場の辞書にはなかった。株をやると言うことは最悪で株価2倍、願わくば5倍~10倍の夢を追うものだと僕は思っていた。

相場の世界に「もしも」はないが、もしも名古屋の投資グループがたった100円幅狙いで石井鐵工相場をやっていて300円前後で全株売り抜けることを前もって僕が知っていたら、僕は決して石井鐵工相場への参戦要請に乗っていなかった。

僕や僕の愉快な仲間たちが石井鐵工相場に参戦しなかったなら、倒産デマ大暴落に出会うこともなく、2001年12月にスッテンテンになることもなく、元本が多いから2005年の良い相場で皆がいい思いをしただろうなと悔しく思います。回顧談完了! 敬礼!

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