兜町の風雲児中江滋樹 最後は葛飾区金町の安アパートで孤独死

相場師が老齢になって金がないと、たとえ生きていても首がないのと同じだ。

東京都葛飾区金町駅から徒歩20分の場末の木造アパート2階で、2020年、火災が起きた。焼け跡から見つかったのはかつて「兜町の風雲児」と呼ばれた相場師の焼死体だったわな。
男の名は中江滋樹、享年66歳。煙草の火の不始末から火災が起きて、中江滋樹氏は下町の場末のアパートの一室で孤独に焼け死んだ。

中江滋樹氏は相場師として有名人だった。天下の経済事件、投資ジャーナル事件を起こすほどの有名人。
彼は株取引で数百億円の財をなし、兜町の風雲児と呼ばれていた。
その中江滋樹氏も刑期を務め、牢獄から解放されて以降は相場がうまく行かず、晩年は証券貧民階級に落ちぶれていた。かつての中江滋樹氏支持者の支援でかろうじて金町の家賃4万8000円の木造アパートに住んでいた。

「住んでいた場所の地名が金町だったこと」が兜町の風雲児中江滋樹氏にとって最後の最後のささやかな矜持だったのかもしれない。涙。

彼がアパートの一室で焼け死なずに、まだ生きていたら、年齢は今70歳だわな。僕と2歳違いだわな。僕は彼と同時代を生きた。

彼が投資ジャーナル事件を起こしたとき、30歳代だった僕も山陰地方で株式レターを個人投資家たちに送って、個別株の買い煽りをやっていた。

そのために投資ジャーナル事件勃発のあと、僕も胡散臭い人物だと国家権力官憲に疑われ、自宅が家宅捜査され、警察署に連行された。
僕が無罪を主張し決して自供をしないので、6か月間も取り調べを受けた。

水面下で山陰の草笛と兜町の中江滋樹氏が手を結んで、仕手相場をやっていると国家権力官憲に疑われたのであった。恐いですよ。

実際は・・・僕と中江滋樹氏とはまったく無関係で面識もなかった。
ただし、中江滋樹氏の「投資ジャーナル」と僕が名乗っていた「投資工学」が偶然、同じ会計事務所で経理を見てもらっていた。それがヤバかった。

僕は神仏のおかげで警察取調室からも解放されたし、株式相場での最終的な破滅からも逃れ、相場師人生を逃げ切った。
今、僕は中江氏みたいな安アパートの一室に住む身分ではない!
とだけ、掲示板愛読者の皆様に強調しておきたいと思います。
人生いろいろ相場師もいろいろ、島倉千代子の心です。合掌礼拝。南無。

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