山陰鞄持ち物語

僕は鞄持ちはうまいほうだと自負している。年上の金持ちに取り入るのは職人芸に近いものを持っている(笑)
いまでも、料亭などに誘われることがたびたびある。
料理に酒に仲居さんとの会話、すべてがただで楽しめるのだから良いと思われるかもしれないがおごられる者には、おごられる者の鉄則があり楽な仕事ではない。言わば鞄持ちの仁義だ。

まず、おごってくれる人より目立ってはいけないこと。
話題はおごってくれる人の話題に合わせ、カラオケもおごってくれる人の好みに合わすこと。美人のホステスや仲居さんは、おごってくれる者のそばに座らせること。おごってくれる人のジョークは例えいかにつまらないジョークでも大受けして笑うこと。カラオケは、おごってくれる人のレベル以下におさえて適当なうまさで歌うこと。この仁義を破ると、次からお呼びがかからなくなる。

鞄持ちは結構才覚がいるし慣れないものには辛い役割なのだ。それがゆえに、あえて無形文化財的な価値があると申し上げたのである

Mさんは、僕よりだいぶ年上の人で、酒には目がなかった。
夕方になると、とくになんの用もなく、ふらりと僕の家に立ち寄るのであった。
「草笛さん、今夜あたり、一杯やりましょうよ」
「ああいいね ちょうど退屈してたとこだった」
話しはすぐにまとまり、まずは近くの店からはしご酒が始まる。

「Mさん、○○という男どう思う?」
「草笛さんは、どう思うんですか?」
Mさんは自分の意見は言わない。

「この前、こんなことがあってね、あいつは嫌な奴だと腹をたてているんだわさ」
「そうでしょう、そうでしょう。あの男はろくな男じゃない、あれは最低な奴ですよ~」
ここで、反論されては酒がまずくなる。Mさんは必ずこちらの調子に合わせてくれるから気分良く、酒が飲める。

「Mさんとは意見が合うね~、ところで△△さんのことを知っている?」
「ええ、よく知っていますけど、なにかあったんですか?」
「△△さんには、お世話になることがあって、例の話うまく進んでいるんですよ」
「そうそう、△△さんは、良い人だわ~~、あの人は頼り甲斐のある人だ、太鼓判だ!」

Mさんは膝を叩いて同調してみせる
「Mさん、でも△△さんには、あれで怖いところもあるんだよね・・・」
「そのことですよ!△△さんは裏に回って足を引っ張るようなアクドイところがある、草笛さん、そこのところはきっちり気をつけて付き合ったほうがいいですよ」

このように、打てば響くように、こちらのご機嫌を損ねないように会話をしてくれるのだ。

Mさんと飲んでいると楽しい。年上なのに、僕を立ててくれて、自分は一歩下がって、そうだそうだと相槌を打ってくれるから、一緒にいると気分がいいのだ。ただし、飲み代はこちらが持たねばならない。お金持ちの人に呼ばれて飲むときは支払いは相手持ちで僕は鞄持ちにならざるをえないが、Mさんと飲むときは鞄持ちを従えて飲むことになる。どっちが楽しいかといえば、やはり鞄を持ってもらう方が楽しい。

おごってもらうことは時には苦痛なこともある。飲んだり食ったりしたものはあとに残らない。何時間も相手を立てて話題を合わせて追従するのは結構疲れるものなのだ。コンパニオンさんなら、時間給がいただけるが男はそういうわけにはいかない。よっぽど酒好きでない限り、鞄持ち稼業はやるより、人にやらしたほうが良いと思う。

Mさんのすごいところは、お店の人に「払いは俺につけておけよ」とカッコよく言うところだ。知らない人が見れば、ご大尽に見えるが、Mさんのもっとすごいところは、そのつけを絶対払わないところだ。店の経営者はよく心得ていて、Mさんのつけにはせず、同行の人に勘定をつける。だから結局、一緒に飲んでいた者につけが回ってくるようになっている。その阿吽の呼吸を知っていないとMさんとは付き合えない。Mさんとはしご酒をするときは、一応交互に勘定を負担したようになっているが、結局すべての支払いを一方的に負担しなければならない。それが楽しく思えるようになれば男も一人前だ。

そういうMさんを嫌う人もいる。あいつは払い汚いと敬遠するのだ。
しかしMさんのあの座持ちの良さは天下一品で、飲み代を支払う価値は十分ある。女の人なら、さらにご祝儀もいただけるに違いない。
Mさんはそうして、飲み代をほとんど支払わず飲み歩いてきた。読者はMさんをお金がなくてそうしていると思うかもしれない。

ところがどっこい、お金を払わず、相手をヨイショして鞄持ちに徹するのは彼の特技であって、それはお金がないからではない。Mさんは先祖伝来の土地を一等地に保有していて彼におごっている者よりはるかに金持ちなのである。
ある日、Mさんと僕ともう一人の3人で飲んだことがある。Mさんの飲み代は僕ともう一人で折半して払おうということにしていた。

その日、Mさんは家の設計図を持参していた。近所では見かけないほどの豪邸の設計図だった。「それは誰の家の設計図なの?」
立派な家の設計図に驚いた連れの友人が聞いた。
「俺の家に決まってるだろ」
とMさんが言った。その設計図は破格の設計図で、いつもおごっている僕らの家と比較にならないくらい立派なものだった。連れの友人は激怒した。
「おい、お前は俺達にいつもおごらせているくせにこんな豪邸を建てるのか!」
Mさんは、ひるむことなく、ただにこにこしていた。
僕は、そのときMさんという人に一本取られた気分がして何も言えなかった。
凡人は見栄を張り、先を争って飲み代を払おうとするが、鞄持ちに徹する才覚のある者は、他人に飲み代を払わせて、自分は豪邸を建てる。
恥かく、義理欠く、見栄かく、金持ちになろうと思うなら、当たり前の生き方ではだめなのだ。僕はMさんの豪邸の設計図に、心から拍手を送った。
彼の豪邸は長いあいだの鞄持ちの至芸に対する勲章なのだと感じたからである。

                       山陰鞄持ち物語  完

今夜も僕は、飲み歩いていた。勘定書きが来れば、先に自分が取って、支払うようにしている。同伴している人も、俺が払うと言い張る。それが一般社会の男の仁義だ。貧乏人の意地だ。だから僕らは大金持ちにはなれない。今や、この町有数の豪邸に住んでいるMさんの高笑いする顔が今夜も瞼に浮かんで来るのは、通常な感覚で生きている者のひがみなのかもしれない。

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