三遊亭円楽師匠と隠岐の島

故三遊亭円楽師匠(6代目)の毒舌とやさしさ

三遊亭円楽師匠は東京下町生まれであり江戸っ子風味だった。
歯切れよく毒舌を語って笑いを取っていた。
歌丸を罵倒して笑いをとることも嫌味がなくて絶妙だった。

円楽師匠は(演技として)毒舌と腹黒さを売り物としていた。
笑点の司会役に選ばれなかったのも、そのせいかなと僕は思っている。

ところが晩年の円楽師匠に、「少年のような眼差しを感じました」ともあさんが投稿しておられる。歳を重ね、病を患い、魂が無垢になり、少年のような眼差しになっていくのは確かなことだと思います。

その一方で、円楽師匠の由来がそうさせたとも言えます。
江戸っ子というのは田舎から出てきて三代住んで初めて江戸っ子と名乗れるという掟があります。
僕も若いときに田舎から上京して帝都東京に住んでいましたが東京に住んでいても一代目は「いなかっぺ」と呼ばれます。
いなかっぺを短縮して「かっぺ」と罵倒される日々でした。
田舎者が東京に住み着いて子供を産んで、二代目として東京生まれでも、まだ江戸っ子ではないです。いなかっぺの息子です。
三代江戸(東京)に住んではじめて江戸っ子と認めていただけます。敬礼!
東京在住の掲示板読者がもしもいたら、これを覚えて隠岐魔性!!

話を三遊亭円楽師匠にもどすと、東京下町生まれでいかにも江戸っ子風味だった彼は実は江戸っ子ではなかったのです。

彼の父親は隠岐の島に生まれて上京し、警視庁の警察官になったのでございます。
そうして円楽師匠が東京で生まれたのです。

円楽師匠は父親のふるさと、先祖の墓のある隠岐の島に愛着がありはるばる島根県の離島である隠岐の島にやってきて落語を披露していた。来年1月にも隠岐の島に来て落語をやる予定だったそうです。

彼の「少年のような眼差し」は純朴な隠岐の島の島民のものであろうとも瞑想できるのではないでしょうか?

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