縁起が悪いので死体は出来るだけ見ない方が良い

僕の父親は高等小学校卒の学歴だったので僕に大学に行けと諭した。

父親は高等小学校で優秀な成績だったが旧制中学校に行くほど生家が豊かではなかったので、口減らしで寺の小僧になるか、商家の丁稚奉公するかの二者択一を迫られた。
父親が僕に語ったことによると、「寺の小僧になり僧侶になると死体を見て暮らすことになる。それが嫌で小僧になるより丁稚になる道を選んだ」と言っていた。

僕も死体を見るのは苦手です。父親譲りなのでしょうね。
知り合いが死んだとき、田舎では「驚き悔やみ」と言って、即、その家に駆けつけて死体と対面して手を合わせ線香を上げる風習があります。

その「驚き悔やみ」にも僕は血縁者以外は出来るだけ行かないようにしている。
顏にかけられている白い布をめくって死に顔を拝むのが不得意なのです。

山陰では先に死体を焼いてから葬式をやるので、葬儀の場で死体の顏を見ずに済みます。都会では生の死体を祭壇に置いて葬式をやりますよね。あれはつらいです。死体と対面させられる。死体は見たくない。
山陰地方のように、死体を葬儀より前に焼いてしまった方が合理的ですよ。

病気になり平和に死んだ人以外で、非業の死を遂げた他人の死体を見た経験が僕は人生で2度あります。一つは国鉄山陰本線の列車にはねられて死んだ若者の死体です。顔を列車にぶつけて即死でした。僕が死体のそばに行って自ら検証したら、死体の顏が腫れあがっていました。

もう一つは千葉県の東京湾岸道路を車で走っていたとき自分の前の車に次々はねられた人の死体を目前で見ました。

車にはねられた人は胴体と頭が分離して、頭と胴体が別々に転がっていました。
胴体から離れて転がっている死人の頭と顏を目の前1メートルの距離で見て、これは・・・気味が悪かったです。

やはり、出来れば死体は見たくないです。
今、山登りで遭難して凍死した人たちの物語をYOUTUBEで見ていますが、山で凍死した人々の死体も見たくないですね。
山登りをする人たちは凍死した死体を見ることが多いようなので僕は山登りはやりたくないです。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 チーーン

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