女相場師・尾上縫は一度に100万株単位で注文を出したと証券マンが証言

昭和バブルの頃は千株単位売買だった。大口客は1万株単位の売買が多かった。

昨日の女相場師、2兆円を銀行から借りた女のNHKテレビ放送。
番組内で証券会社の尾上縫の担当者が

「神様みたいな人でした。一度に100万株単位で買い注文をくれたので、支店のノルマが尾上縫さん一人で達成出来ました」

この100万株の買い注文の話で、僕の脳裏に証券マン時代のある記憶が蘇った。
営業畑の隠語で「仕切り」というやり方があった。
証券会社支店自身が、客から注文を受ける前に、場電を使って寄付きで株を買って
あとで客に嵌め込む手法であった。今は非合法化されている。
多分昭和バブル時代までやっていたのではないのかな?

支店には一日当たりの株の売買株数ノルマが与えられていた。
ノルマ達成できない日々が続くと、本店の株式部長から支店長が「怠けるな!ノルマ必達だ!」と怒鳴られる。
どうしても支店の株売買ノルマを達成しなければいけないとき、支店長が「大きな仕切り買い」を発動する。朝の9時の寄り付で仕切り買いした株を、営業マンは大引け3時まで販売させられる。

僕が証券会社で働いたのは昭和50年代ですが、支店長がノルマ達成のため日通を寄付きで100万株仕切り買いをやって、僕に嵌め込み販売させたのを記憶している。
100万株仕切られると、営業マンは課長で10万株販売、主任、平社員でも5万株は販売しないといけない。ノルマです。

昨日のテレビで尾上縫が100万株単位で買い注文を呉れるので
「尾上さん1人で支店全体のノルマ達成でした。」
と担当の証券マンが回顧していた。
どの証券会社支店でも一日100万株以上の株式売買ノルマがあったんだなと、僕は久しぶりに、仕切り販売の苦しさを思い出しました。

今の日本は貧乏国になり、株売買が1枚100株単位になりました。
貧乏人が増え、1枚100株乞食買いでさえ、お金が無くて買えない証券貧民だらけです。残念!

日本が栄えていた昭和時代末期は1000株注文なんて小さい株数過ぎて、営業マンはゴミと呼んだ。普通の人は1000株買いを小さい注文で恥ずかしがった。
株の注文は最低で3000株、大口客は1万株が売買単位だった。
だから仕切り買いも100万株なんてことがあり~~
営業マン仕切り買いした株券を万株単位で嵌め込み販売していたのです。

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