しかし頼朝も信長も伊達政宗も徳川家光も弟を殺しにかかった。
豊臣秀吉は弟の秀長を重用して、重職に付かせた。
大和一国を与えた。秀長は大和郡山に大阪城に似せた立派な城を築いた。
僕は豊臣秀長の居城、大和郡山城の天守で相場必勝祈願をした経験があります。
一方、源頼朝は有能な弟を嫌って、奥州衣川のほとりで殺した。
義経が弁慶とともに殺された場所に僕は出向いて、相場必勝祈願をした経験があります。
信長は弟を殺して織田家の統領の地位を安泰にした。
伊達政宗も弟を殺して伊達家の統領の地位を確立した。
徳川家光も弟の駿河大納言・徳川忠長を幽閉し切腹を強いて殺した。
家光は弟を殺すことで徳川家の圧倒的な独裁者になった。
なぜ秀吉は弟の秀長を重用し、他の武将は弟を殺したのかを解説します!
貧乏人の子供は次ぐべき名誉も財産もないので、兄弟が家督争いをしない。
貧乏な家庭は上の兄弟から先に家を飛び出す。貧乏な家を継ぎたくないからです。
貧乏人の家は「末子相続」が多くなるのです。兄弟皆が我先に家を飛び出し、最後に末子が家を相続する羽目になります。俺のことだよ。
貧乏だから兄弟は力を合わせて生き延びようとする。
それで貧乏人の兄弟は仲が良いのです。
一方、富貴栄光、財産の多い家庭では親の資産をめぐって家督争いが起きる。兄弟が争い仲が悪くなる。
戦国時代も大名の子供は領地、城主の座を争って殺し合いとなる。
豊臣秀吉は貧しい百姓の子供で、飯が食えないから先に家を飛び出した。
実家に財産がないから兄弟が争うべき利権がない。だから兄弟仲がよい。
頼朝も信長も伊達政宗も徳川家光も守るべき地位、名誉、財産があったがゆえに、弟を殺して、自分の利権を守ったのでございます。

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