証券会社店頭の悪党物語

(2000年6月4日掲載)

今でこそ証券会社の店頭は銀行と見まごう程に静かで上品であるがバブルの頃までは、それはもう賑やかなことだった。バブルの足音がかすかに聞こえはじめていた或る日のこと、僕は行きつけの地場証券の店頭のカウンターに陣取って、担当の営業マンに売り買いの指令を出していた。

カウンターには株好きのオヤジがずらりと並んで座っていて、あの株がいい、この株がいいの相場談義に花を咲かせていた。その後ろのソファーには、じっくりと我が道を行くといった風情の男たちが黙って株の業界紙を読んでおり、カウンターで歓声が上がると新聞から目を離して株価ボードをチラリと眺めるのであった。

証券会社の方も賑わいを歓迎し、店頭に客が多い事をよしとする風潮があった。カウンターの係りには大抵、愛嬌のいい女の子が配置されていて、店に入って来る客にさっとお茶を出して迎えてくれる。それを楽しみに、かって相場で鳴らしたが今は千株の注文がやっとという老人が毎日通いつめて来たりしたものである。

そんな店頭の常連さんの間で僕は一目置かれていた。それもそのはずである。
店頭でたむろする常連さんたちは、大体、歳のころ50歳台60歳台の年配者が多く30歳前半で店頭に陣取って売った買ったとやっていれば目立たない訳がなかったのだ。

「あんた若いのにたいしたもんだね。このところよく当てているって
 もっぱらの評判だよ」
60歳くらいの男が、クイックの端末を打ち込んでいた僕に話しかけてきた。
「そんなことないですよ。百戦練磨の皆さんに比べれば、まだまだヒヨッコですよ」
僕は満更ではない顔をして謙遜した。
「歳は関係ないさ。相場の世界は勝った奴、銭を儲けた奴が偉いんだ。あの爺さん見てみろよ。昔は結構な資産家で大きな相場を張っていたらしいが、今じゃ、かつかつの千株商いで店頭の女の子も相手にしやしない。あんたは若いが5千だ、1万だと注文をつけるじゃないか」

男の名前はAといった。店頭の常連の中でも一目置かれているようで、常連客は
Aが現れると、AさんAさんと慇懃な態度をとるのが常であった。よっぽど
大口の資産家なのだろうと僕は勝手に想像していた。

「当たり屋につけというけど、あんたの狙っている銘柄教えてくれないかなぁ。ここんところ負けがこんでいるので、ゲン直しと行きたいんだよ」
A氏は人なつっこい笑い顔を作って、僕が見ているクイックを覗きこんだ。
「大平製紙?こんな株、聞いた事無いな。これ上がるのかい?」

僕は東京の土地の値上がりで東京都内に土地を持っている小型で安い株を買っておけば含み益を狙った株買占めが行われ大儲けできると睨んでいた。丁度、日本フエルトという製紙関連の株が王子工場の含みを囃して1年前の200円前後から1000円前後に化けていたので、王子あたりに工場を持っている小型の低位株を調べていたら2部市場に大平製紙という会社があることを発見したのである。

株価の動きはどうだろうかとクイックの端末で値を追っているときにA氏に話しかけられたのだ。株価は240円であった。ちょっと高いな200円から220円くらいで、じっくりし込みたいな、そう考えて、まだ買い注文は出していなかった。
「これ、上がりますよ。含みがあるんです。東京の土地はこれから、まだまだ上がります。東京が世界経済の中心になるんです。大平製紙は東京に工場をもっていますからね。含み益が膨れ上がって、大化けすると思います」
A氏によいしょされて気分がよくなっていた僕は得意気にしゃべりまくった。

「ほおお、そうかい。じゃあ俺も大平製紙とやらを買ってみるわ。あんたの話しは説得力があったよ。あんたを信じて買わしてもらうよ……」
A氏はにっこり笑って言った。
僕は自分より年上で資産家風のA氏が自分の相場観を認め、従ってくれたことを
得意に思って、胸を張った。しかし、事実は小説より奇なり。A氏はとんでもない人物で、このあとで僕は悪党とはどいうものかを知らされることになるのであった。

その後、大平製紙は250円前後を行ったり来たりしたあと、ジリジリと値を下げて株価は200円どころに落ち着いた。純資産112円 1株利益1円しかない大平製紙の株価としては200円前後が妥当値だったと言えよう。僕はかねてからの予定通り200円近辺の売り物をコツコツと拾いはじめた。

売り物は、ぱらぱらと出てきてほどなく3万株ほど拾う事が出来た。200円なら買えるだけ買ってやろうと虎視眈々と構えていたが、なにせ2部の人気のない株である、やがて200円どころで売り物もなければ買い物もないという2部株特有の閑散とした状況になってきた。

そんな状況のとき、A氏から電話がかかってきた。
「清春さんかい。あんた話が違うんじゃないの。上がるといって太鼓判を押していた大平製紙、上がるどころか大幅に下がったじゃないか」
A氏の声は人が変わったように冷たく詰問調であった。
「株ですからね、下がることもありますよ。でも大平製紙は含みが大きいですからじっと待っていれば、そのうちきっと上がりますよ。ここが辛抱のしどころですよ」
僕は証券マンが言い訳するような口調で答えた。

「おい、なにをとぼけた事いってんだよ。そのうち上がるとはなんのことだ。
 あんた、すぐにでも化けるような言い方してたじゃないか。2割も下がっているんだよ。自分の言った事に責任をとれよ。ええっ、どうなんだよ」
A氏はドスの効いた声でまくしたてるのであった。

まいったなぁ、店頭でたまたま会って、銘柄談義をしただけのつもりだったのになぁ。僕は面食らってしまって、A氏に聞き返した。
「それで僕にどうしろというんですか?」
「100万円損させられたんだ、100万円持って来い。それで、この話はなかったことにしてやるよ」
100万円の損ということは250円どころで2万株買ったと言うことだ。
A氏の剣幕に押されて、言い分を飲む気になっていたが、本当に2万株買っているのか、ひょっとして買ったということにして100万円脅し取ろうとしているのか、そこをはっきりさせなければ、こちらとしても癪である。

「分かりました。損失は全部、僕が負担しましょう」
「そうかい、話が早いね。あんたはやはり見所があるわ、男だねぇ」
A氏の顔がほころぶのが電話の向こうに見えるようだった。
「500万円用意しておきます。Aさん、あなたはすぐに株券の返却をかけて2万株の現物を用意してください。買値で全部引き取ります。売買報告書も忘れないで付けてください。1円単位まであなたの払われた金を戻して差し上げます」

これで、A氏が本当に大平製紙を買っているのかどうかがわかるはずだ。実際に買っていなかったら、ここで退散するだろう。
「悪いなぁ、じゃあ、そうさせてもらうよ」
A氏は温和な声で答えた。彼は本当に2万株買っていたことが、これで分かった。こうして市場で200円の値のついている株を250円で2万株も買い取らねばならぬ羽目になったのであった。口は災いのもととはよくいったものである……。

もちろん僕も単に脅しに屈した訳ではなかった。大平製紙の売り物がかすれてきていて2万株を場で手に入れようと思えば指値を上げていかねばならなくなっていた。
成り行きで2万株買い注文を入れたとしても、250円までで買えないかもしれなかった。
大化けを確信していた僕にとって2万株の現物が手当できることは、そう悪い話ではなかったのである。

A氏とは喫茶店で受け渡しを行った。500万円の金を渡すとき僕は言った。
「Aさん、あなた悪党だね。僕みたいな年下の者から金を取ろうなんて。でもねきっと最後に笑うのは僕の方だと思うよ。大平製紙が化けても、また株券を250円で戻せなんて言わないよね」
「おいおい、俺もそこまで悪い人間じゃないぜ、はははは」
A氏は照れ臭さそうに笑った。そこには元のひとなつっこい顔があった。

大平製紙は東京都北区に28209㎡の本社工場を所有していた。簿価900万円である。僕は工場見学に上京した。A氏をギャフンと言わすには大平製紙を大化けさせねばという意気込みがあった。池袋から大宮まで埼京線が開通し、工場から800mのところに浮間駅と言う新駅が出来たばかりであった。しかも来年には埼京線は新宿に直通になり新宿駅から浮間駅までは15分もあれば行けるようになることが分かった。

これはいける、1㎡100万円で計算して282億円の土地がたった900万円の簿価なのだ。発行株数1000万株を1株250円で計算して会社丸ごとの値段が25億円。大平製紙は王子工場のほかにも富士工場、真岡工場も持っていた。

会社の価値は時価総額の10倍は優にある。株価2000円も夢ではない。これは宝を掘り当てたと胸がはずんだ。工場見学をして期待は確信に変わったのである。

そのあと僕は信用のおける投資仲間に大平製紙を買っておくよう奨めまくったのである。その年の暮れ、大平製紙は350円をつけ、翌年埼京線が新宿に乗り入れるや、475円となり、3年後には1500円になった。

地場証券の店頭には、あの不愉快な出来事以来あまり顔を出さないようにしていた。
店頭で下手なことを喋って、また難癖をつけられてはかなわないという気持ちもあったし複数の証券会社と取引するようになり、電話連絡が頻繁にあるので、店頭で油を売っている事ができなくなっていたからである。

大平製紙が1500円近くまで人気づいて来たとき、ひさしぶりにあの地場証券の店頭に立ち寄って見た。
カウンターのクイックの端末で高値を更新する大平製紙の株価を見ていたら、
後ろから肩を叩く者がいる。振り向けば、そこに、やつれた顔をしたA氏が立っていた。

あの日とおなじようにクイックの端末を覗き込みながら彼は言った。
「ひさしぶりだな。大平製紙かぁ。たいしたもんだ。ほんとに大化けしたなぁ。まだ持っているのかい?」
「ええ、大方は上がる過程で外して、利食わしてもらいました。でも、あなたから譲ってもらった分だけは記念にとってあるんですよ。あなたのお陰で儲けさせてもらいました。ははははは」

僕は、いつか必ず、この一言をいえる日が来ると信じていたのだ。
A氏は人に株を推奨させて、買って上がればすぐ売って利益を得、買って下がると、奨めた者を脅して損金保証をさせていた。このやりかたなら絶対に損をすることはない。

しかし大きく儲かるという訳でもない。悪党の考えそうな投資法である。相場では三流でしかないが彼の脅しのテクニックは一流だった。トラブルに介入し、体面を気にする企業から、なにがしかの金をせびりとることもあったらしい。

店頭の客がAさんAさんと慇懃な態度で接していたのは、尊敬からではなく、関りを持つとあとが恐いという理由からであった。A氏と心から付き合っている者は誰ひとりいなかった。

しばらく会わぬうちにA氏の身体は痩せて顔つきにも精彩がなくなっていた。
人を泣かせて自分の利益を図る生き方はそれなりに身体を蝕むものなのかもしれない。あるいは普通の投資家の普通のやりかたで、大平製紙を黙って2万株持っていれば2000万円以上儲かったのに、上手く立ち回ったつもりが裏目に出て気分がすぐれなかったのかもしれない。

それでも習癖というものは死ぬまで直らないようである。
彼は懲りもせず、また僕に前と同じことを訊いてきた。
「あんた、随分、儲けたんだろうな。お茶でも飲みに行こうよ。なんかいい銘柄ないかい?あったら俺にも教えてくれよ」
「ちょっと用事があって、その時間がないんです。またにしましょう」
僕は冷たく突き放すように答えて、証券会社から去って行った…・・。

その後、A氏の姿を見る事は二度となかった。
しばらく経って、彼がガンで死んだとの風の便りが届いた…・・。
大平製紙はバブル時代の東京の土地の高騰に合わせて上がり続け、結局2080円まで上がった。2000円になるという僕の夢は本当になったのである。

  証券会社店頭の悪党物語    完

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