チャットGPT時代に大量読書にどういう意味があるか?

僕と僕のある友人は読書量を競っていたことがある。

僕は読書が好きで万巻の書物を読破したぞい!と万感の思いで回顧しています。

本を買って読むと毎日数冊読破していた僕にとって、本代の銭がかかり過ぎるので、島根県立図書館と出雲市立図書館で大量に本を借りてタダで大量読書をやっておりました!図書館に感謝。

僕のある友人はすごい読書家で彼に質問をすると森羅万象なんでも答えてくれました。僕は歴史、哲学、文学だけでなく「銭儲けの本」「株式相場師の本」も合わせて読んでいましたが、彼は銭儲けには興味が無くて、そういうたぐいの本は読んでいなかった。

その彼が晩年、別の病気がもとで脳内出血をして半分痴呆状態になった。
彼は囲碁と将棋が強かったが、脳内出血以降は思考力が衰えて囲碁将棋が出来なくなってしまった。

ある日、彼が長期滞在している病院に見舞いに行ったら、彼は半ボケになっていて僕の顔を見てもなんにも反応がなかった。会話も成立しなかった。
「俺だよ!草笛だよ!分かるかい?」
と話かけると、うんうんとうなづいていた。

彼はもう読書どころじゃあないな、と僕は瞑想したが・・・驚くべきことに彼の病室のベッドの枕元に沢山の書物が積まれていた。彼はやることがないから、ひたすらベッドで読書をやっていたのだ。多分、書物の内容はあまり理解できなかっただろうがとにかく、長年の読書癖がボケたあとも続いていたのだろう。
「雀百まで踊り忘れず」ならぬ「読書家ボケても読書忘れず」
なんだな~と感心するやら悲しくなるやら。

彼は学者になったわけではなく、普通のサラリーマンとして人生を過ごし、そして病院で死んだ。
あんなに大量の読書をしてそれが一体何になったんだろう。
単なる自己満足という結果になったように思えてならない。

僕は今は本を読みません。もう余命がいくばくもないので本を読んでも無駄だと達観しています。
むしろ過去に読んだ万巻の書物のエキスを日々の生活や株式投資に生かしたいです。

ただ本を読むだけ、知識を蓄えるだけではあまり意味がない。
書物から得た知識を行動を通して実生活、人生で生かすことが大事です。
知行合一と陽明学で言います。
もしも万が一この掲示板に若い読者がいたら知行合一という思想だけは覚えて隠岐魔性!! 

今は本を読まなくてもスマホで知識は何でもその場で手軽に手に入ります。
大事なのは行動と実践です。そして神仏に感謝する心です。

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