北極刑務所で独房拷問死した縄利縫い(ナワリヌイ)氏の生涯を語る

大学で証券取引を学んだ若者の、仕手株相場の如き政治的野望。

縄利縫い(ナワリヌイ)氏の生涯は一発勝負の仕手相場師みたいだ。
ロシア帝国プーチン王朝独裁国家にあって、縄利縫い(ナワリヌイ)氏はあえて独裁者プーチン氏を
「詐欺師、泥棒」と公の場で批判してきた。
政治構造として独裁制度を採用している北朝鮮、中国、ロシアに於いて公の場で独裁者を批判するのは死を意味すると知った上での行動であった。

ロシア国家権力はナワリヌイ氏に毒を盛って殺そうとした。
しかし、ドイツの病院に運ばれて最善の治療をうけてナワリヌイ氏は一命を取り留めた。
2021年1月、毒殺を免れたナワリヌイ氏はそのままドイツに亡命すればいいのに、あえて志願してロシアに帰国した。

ロシアは2022年のウクライナ侵攻の準備をしている最中だった。
ウクライナ系の名前を持つウクライナ系ロシア人ナワリヌイ氏が帰国とともに即刻、冤罪を着せられて刑務所送りになったのは当然の結末。
そして北極刑務所に送られて拷問死したわけです。

そういう運命は先読みできるのに、なぜナワリヌイ氏はみずから死を求めてロシアに帰国したのだろうか?
その答えは、西側に亡命して無名の一般人として長生きするより40歳代の若さで反プーチンの救国の英雄として死にたかったからだと僕は瞑想します。それが歴史、政治の世界で生きる男の生き様、達観なのです。

戦国時代に出雲国尼子氏が安芸国毛利氏に滅亡させられたとき尼子の殿様の血統だった尼子勝久は京都のお寺の坊主になっていた。
山中鹿之助がこの尼子家の遺児を担いで尼子家復興戦を行った。

しかしあてにした織田信長、豊臣秀吉から見捨てられ播州上月城籠城戦敗北で尼子家は二度目の滅亡となる。
復興戦に担ぎだされた尼子勝久は25歳の若さで毛利家から切腹を命じられた。

坊主のままで生きていれば70歳、80歳まで長生きできたのに・・
と思うのは一般平民の発想。武家の発想、英雄希望者の発想は違う。
尼子勝久自身は尼子再興軍を率い播州上月城の城主として死ねることに感謝した。

尼子勝久は切腹する時に、山中鹿之助ら家臣に向かって

「法衣をまとって無名のまま一生を送るはずだったこの身を、
 一度は夢にまで見た尼子の大将にしてくれたことに感謝する」

と述べています。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 合掌礼拝 チーーン

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