旧満州国の首都新京(今の長春)に溥儀皇帝記念館がある

日本が作った満州国をウクライナ以外の国の多数が承認した。僕は満州国に2度行ったことがあります。僕の叔父や叔母が満州国にいたので縁を感じるからでございます。
旧首都新京の溥儀皇帝邸宅のとなりに溥儀皇帝記念館があります
そこの展示物の中に誇らしげに満州国承認国家一覧表がありました。
23か国の承認でした。当時の独立国家の大半から承認されたと
自慢げに書いてありました。

日本ではタブーになっている情報が、共産中国支配下の満州地区で展示されていてビックリ!

満州国が作って国民に配布していた反英米のプロパガンダチラシも展示。
「アジアに英米は干渉するな!
 アジアの民はいつまでも英米支配に従属しないぞ!」
という内容でした。今の共産中国のプロパガンダと一致しています。

満州国を承認していた国の多さにもビックリ!

1932(昭和7)年3月1日満州国建国 日本が承認
1934(昭和9)年3月中南米のエルサルバドルが早速承認。
1934(昭和9)年4月にバチカン(ローマ教皇庁)、
1937(昭和12)年12月にイタリア・スペイン(フランコ政権)、
1938(昭和13)年5月にドイツ(第三帝国)、同年10月にポーランドが承認。
中国も南京に首都を置いていた汪兆銘国民党政府が、
1940(昭和15)年3月に満州国を承認。
1940 (昭和15)年 7 月、フィンランドが承認。
タイや東欧諸国も満州国を承認していた。
ソ連も満州国に領事館を置いていた。

当時の世界は、アジア・アフリカ・オセアニアの殆どの地域が、
欧米列強の植民地だった時代です。
アジアで独立を保持していたのは、日本・タイ・トルコ・サウジアラビア程度でしたし、
アフリカもエジプト(英国影響下)・エチオピア(伊国影響下)・リベリア(アメリカが作った国)・南アフリカ(イギリス影響下)
の4ヶ国のみと言った実情です。

当時の独立国の内、半数近い約30ヶ国が欧州にあり、その内の半数が満州国を承認していたのです。

ただしウクライナは満州国を承認していない。

ソ連を形成していたウクライナは日本を侵略国家と見なして、日本が対米戦争で原爆を落とされて敗北必至になったとき満州と樺太、千島に攻め込んで日本を侵略した。
ゼレンスキーが真珠湾攻撃や昭和天皇を批判するのはそれがウクライナの国是だからです。
そんなウクライナに何兆円もの銭を貢いでいる岸田政権は反日的なのでございます

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