津和野藩主坂崎出羽守 千姫に横恋慕して輿入れ襲撃を計画

大阪夏の陣の逸話で一番面白い話を最近の歴史ドラマでは省略する。

史実としていかがなものか?ということで省略されるようになったのだろう。
坂崎出羽守は宇喜多家の一門であったが、宇喜多家を出て
徳川家の配下になった。関ケ原の戦いで西軍の主力は宇喜多家であったが坂崎出羽守は東軍で戦って戦功をあげた。
徳川家康は旧姓宇喜多を坂崎に改めさせ、津和野藩主にした。
坂崎出羽守は醜い男だったことになっている。その方が物語が面白いからだろう。50歳になっても独身だったようだ。

大阪夏の陣のとき、家康の孫娘千姫が豊臣秀頼の妻(人質)になっていた。
落城間近の大阪城から、千姫を救出する者はいないか?と徳川家康は諸将に問いかけた。そんなヤバい仕事は誰もやりたがらない。
「もしも無事に千姫を救出したら、千姫を妻にしてよいぞ!」
と徳川家康は再度呼びかけた。
それを聞いて、醜くてモテない坂崎出羽守が手を挙げた。

坂崎出羽守は燃え盛る大阪城に入り、顔にやけどを負いながら千姫を救出した。やけどを負って坂崎出羽守の顔はますます見苦しくなってしまった。

坂崎出羽守は徳川家康の孫娘を妻に出来ると張り切っていた。
しかし50歳を過ぎた風采の上がらぬ男、坂崎出羽守との再婚を千姫は頑として拒絶した。千姫は坂崎出羽守の醜い顔を見たくなかった。
結婚などもっての外のことだった。
徳川家康も千姫の気持ちを汲んで坂崎との再婚を無理強いしなかった。
そして千姫は男前であった姫路城主本多忠刻のもとに嫁ぐことになった。

気持ちが収まらないのは津和野藩主坂崎出羽守だった。
千姫が本多忠刻のもとに嫁ぐ輿入れの行列を襲撃して千姫を強奪しようとしたのであった。まるで戦国版「映画卒業」みたいでっせ!

千姫輿入れ襲撃計画を知った徳川幕府は坂崎出羽守邸を包囲し自害を強要した。津和野坂崎家はお家取り潰しとなり、尼子の遺臣亀井家が入城し、幕末明治維新まで亀井家は続いたのであった。

千姫強奪計画と津和野坂崎家の断絶は史実である。
藩の存亡をかけて千姫を強奪しようとしたのであるから坂崎出羽守は本心から千姫に惚れていて、妻に出来ると妄信していたのだろうと思えてなりません。織田家お市の方の孫でもある千姫は美貌の姫だったようです。こんな悲しくも壮絶な片思いのドラマは古来稀ですよ。

ちなみに千姫を妻にした姫路城主本多忠刻は彼女を大切にしました。
姫路城には今でも千姫の間が残っています。

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