休日読物 死んで逝った無名の友人たちの物語 第四話 準公務員だった男編

D君ははたから見ると幸せな人生に見えが、突然謎の死を遂げた。

死んで逝った無名の友人たちの物語 第三話までの3人は大学に行かず、中卒、高卒で働き始めた友人だった。
地元に居たので定期的に飲み会をやっていたグループだった。

これから語る3人の友人は大学受験を前提にした普通高校に進み大学を出てから人生をスタートした。

僕の町には高校がなかった。それで山陰線の汽車に乗って進学校に通った。田舎の汽車は1時間に一本しか走らない。
よって朝と夕方は同じ顔触れで4人掛けの同じ席で通学する。
高校別にどの車両に乗るか、だいたい決まっていた。
これから語るのは同じ汽車の同じボックス席で通学した同じ進学校の友人3人の人生でございます。

4人仲良く通学していたが、その中のリーダー格がD君だった。
両親もしっかりした人で、国鉄に勤めておられて家計は安定していた。
D君の家に集まってトランプゲームなどをやっていた。
それぞれが大学に行って全国に散らばったあとも夏休みや正月に帰省したとき、D君の家に集まって酒盛りをしていた。
母親は息子の友人が来ることを大歓迎して接待してくれた。

このメンバーで高校生のとき列車に乗って九州一周旅行をやった。
D君は国鉄職員の家族なので汽車賃がタダだったわな。

汽車通学で同じ4人掛けボックスで通学した仲良し4人組は大学を出たあと、3人は東京の民間会社に就職した。
D君だけは田舎に戻ってきてお役所の外郭団体に就職した。
僕が東京の会社を辞めて田舎に戻ってきてから、D君とまた付き合い始めた。僕は明日知れぬ自営業で生きていた。
彼は定期的に給料が入る準公務員の身分だった。

あ~あ、田舎に帰郷することになるのなら、東京の民間会社に勤めるのではなく、僕も最初から島根県庁とかお役所の外郭団体に就職しておればよかったな・・・と思うこともありました。
自営業は流通社会が激しく変化していって、殆どの商家が没落していったからでございます。

30歳代初めの頃のことです。D君が小売店をやっていた僕に会いに来た。小さな子供をベビーカーに乗せてやってきた。

「準公務員は生活が保障されていて気楽なものだな」

と僕は思いました。少しだけ話して、忙しかったので

「またあとでゆっくり話そうぜ!今、俺は用事があるんだよ」

と彼に帰ってもらいました。彼はそうかい、とさみしそうに笑って帰って行きました。

その翌日だったと思いますが、D君が死んだと連絡がありました。
なんでやねん? 会ったばかりなのに・・・

D君は山の中の人もあまり通らぬ道路のわきに車を停め、排ガスをホースで車内に充満させて死んでいたのです。彼は死ぬ前に僕に最後の別れの挨拶にきたのでした。

僕は愕然として血の気が引きました。
あのとき、ちゃんと話相手になっていればD君は元気になって死を選ばなかったかもしれない、
僕は自責の念にかられて、3か月間くらい鬱になりました。

あとで皆が噂していたのは、D君は職場のトラブルで悩んだ末に、自ら死を選んだようです。

死ぬほどつらいトラブルがあるのなら、退職して別の場所で生きればいいのに。
自営業で自由に生きているから、そういう発想になれるが公務員的な世界にいるとこの場所以外に生きる場所がないと思いつめるのかもしれません。

安定していて楽(らく)そうに見える職場に就職したD君が僕の親友たちの中で一番早くあの世に旅立ちました。D君は70歳の坂どころか、40歳の坂も越えられませんでした。

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