休日読物 死んで逝った無名の友人たちの物語 第五話 親の財産使い果たした男

E君は富裕な家の子に生まれたが親の財産を使い果たして死んだ。

E君は腕の良い大工の棟梁の家に生まれた。先々代と先代の親は沢山の弟子を抱えて沢山家を建てていた。稼いだお金で田んぼと畑を買っていた。したがって彼の家の半径1キロは彼の家名義の土地が点在していた。
僕が生まれた家の隣の畑は彼の家のものだった。
僕が1キロほど離れた場所に家を建てて引っ越してもやはり彼の家の土地がそばまで迫ってきていた。

E君はそこそこ頭が良かったために中学校を出て大工見習いになるのではなく僕と同じ進学校に進んだ。汽車で3年間一緒に通学した。
家が裕福だったからE君は神奈川県の私立大学に行った。

大学を出てから東京の民間会社に一度は勤めていたが長男だったせいか、会社をすぐに辞めて田舎に帰った。
田舎では測量会社に勤めていた。僕は遅れて東京から田舎に帰った。
先に田舎に帰っていたE君とはよく居酒屋で一緒に飲んだ。

E君は深酒するタイプで記憶が無くなるまで飲んでいた。
僕が彼の家までタクシーで送っていたが、翌日会っても彼はお礼など言わなかった。記憶が飛んでいて僕が家まで送ったことなど何も覚えていなかったのであった。

彼は毎晩、飲み屋で飲んでいた。しらふの時は競馬をやっていた。
そのうち測量会社をやめて独立し、個人商店的に測量の仕事を受注して暮らしていた。
会社員でなくなったことで自由になり益々酒を飲む量が増え、競馬に打ち込むようになった。

奥さんはそんな生活のE君に愛想をつかしたのだろう、家を出ていった。
奥さんがいなくなってE君の飲酒量はどんどん無尽蔵に増えた。
個人商店的な測量の請負で入る銭以上に飲む、打つ(競馬)をやれたのは親がたくさんの田んぼと畑とを残してくれたからだ。

E君は先祖伝来の広大な田畑を次々売って酒と博打につぎ込んでいた。
最後に残ったのは自分が住んでいる家だけになった。

2020年、E君と僕は69歳、数え歳70歳で古希の祝いをすることになっていた。
僕が古希同窓会の実行委員長になり、E君に会費1万円の前払い請求書を送った。彼は律儀に1万円振り込んできた。しかし2020年に新型コロナが発生し、古希同窓会は中止せざるを得なくなった。

E君に書留で1万円返金した。ところが書留が本人不在で帰ってきた。
しかたなく僕は1万円札を彼の家に持って行った。
久しぶりに訪れた彼の家だった。田舎だから玄関に鍵はしていない。
郵便受けにはDMが山のように溜まっていた。玄関戸を開けて呼びかけても誰も出てこない。家の中は乱雑に散らかっていた。

「同窓会の会費1万円返金したい。僕の家まで取りに来てくれ」

と置手紙して、僕は風にように立ち去った。1か月も経った頃だろうか、彼が1万円を取りに現れた。
ひとしきり昔話をした。

「古希の祝いはコロナのせいで中止せねばならなかった。残念だった。次の喜寿(77歳)の祝いはきっと一緒にやろうよな・・・」

と僕が言うと、E君はなぜか怒り出し、掃き捨てるように反論した。

「草笛よ、77歳になったときの話なんて、くだらないことを俺に向かって言うなや!77歳まで生きているわけがない。とっくに俺は死んでいるよ。77歳どころか来年まで生きられるかどうか分からん。俺は親から貰った財産すべて飲み尽くしたゼヨ!もうこれ以上生きても仕方がない。我が人生に悔いなしだわさ」

その日がE君と会った最後の日だった。数か月後、彼はほんとに死んだのだ。享年69歳。彼もまた70歳の坂を越えることなく冥途に旅立った。南無

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