休日読物 死んで逝った無名の友人たちの物語 第三話 自営業だった男編

C君は父親の家業を継いだものの報われることなく孤独死した。

C君は高校卒業後、自動車整備工場で働いていた。
彼の家は自転車屋、オートバイ屋だった。

昭和中頃まで自転車やオートバイの2輪車を修理している店が沢山あった。その後、自動車と言う名の4輪車が普及しだした。
最初は4輪車に乗れる者は国民の中の極少数の富裕層だった。
テレビが一部の富裕層だけのものだったと同じ頃のことです。
その後、時が流れ国民皆が4輪自動車に乗る時代になったのであります。

C君は整備工場をやめて親の跡を継いだ。だが苦労していた。
自転車やオートバイの2輪車を修理している店はそのまま2輪車の店で行くか、4輪車の店に衣替えするかの別れ道に立たされた。

資本力のある一部の店は、4輪車時代に対応できた。
ショールームを持つ自動車販売店に成り上がって行った。
しかし資本力のない多くの店は自転車、オートバイの2輪車の世界で立ち止まるしかなかった。

C君の店は4輪車時代に乗り遅れていた。と言うのもC君の父親が僕から見ると道楽者だったからである。道楽と言っても女遊びをしていたのではなく、社会へのボランティア活動に熱心だった。
ボランティア活動は立派なことだが、銭にならない行為であり壮年時代の親がボランティア活動に嵌まってしまうとその家は貧乏になっていく。僕はそれをボランティア道楽と名付けたい。
まず自分の家を豊かにして、しかるのちボランティアありきです。
そうでないとボランティアは家を貧しくする道楽でしかない。

資本の蓄積のない店を継いだC君は働けど働けど報われず
じっと油まみれの手を見つめている感じだった。石川啄木の心です。
C君が60歳を越えてしばらくしたある日、僕の家にやってきて

「どうにもこうにも商売の銭が回らなくなった。800万円あれば
 ここをなんとか凌げるのだが・・・」

と悲し気な目をしてつぶやいた。
多分、銀行借り入れの返済期限に元本利子が払えない上に仕入れ先への支払いが滞って仕入れもままならなくなっていたのだろう。

僕は、それは大変だね、と言うだけで銭を工面してやるよ、とは決して言わなかった。

将来に見込みのある仕事をしていて、たまたま一時的に資金ショートを起こしたのなら、銭を貸してやれば立ち直れる。
将来に何の見込みもなく、ジリ貧になっている商売人が借金まみれになって倒れかけているときに、銭を貸しても無駄だ。
焼け石に水だ。貸した銭は1円も戻ってこない。
だから僕は倒産前、夜逃げ前の人間には親戚であろうが友人であろうが銭は貸さないことに決めている。貸せば、あとでお互い気まずくなるだけだわな。

結局、C君は店を畳んで、引きこもりのような暮らしになった。
面白くない気持ちで日々、酒で気を紛らわしていたようだ。
彼は生涯独身だった。そしてある日、トイレの前で倒れて死んでいた。
C君もまた70歳の坂を越えられずに、あの世に旅立って逝った。南無。

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