南方戦線で餓死寸前で生き延びた僕の叔父も虫を食ったとは言わなかった

日本軍は南はニューギニア、西はインドまで攻め込んだ。

補給線が伸びきって兵隊に食料が行き渡らず、日本兵は戦闘で死ぬだけでなく飢餓と病気で死ぬケースが多かった。
公式には語られていないが、日本兵は食料がないので死んだ戦友の遺体を食って栄養補給をしたとも言われている。

フィリピンでは50万人の兵隊が死んでいる。本土から弾薬、食料の補給なしにいろんな島々に残されたからである。

僕は慰霊のために異例なことに単身でレイテ島を縦断した。
銃弾のあとが生生しい日本軍司令部の建物のあとも見てきた。
レイテ島の現地人が川のほとりで言うには

「日本兵は山の中に立てこもっていたが水も食料もなかった。日本兵は喉が渇き、辛抱たまらず、水を飲みに山を下り川原に出てきた。水を飲んでいる日本兵をここで狙撃して全員殺していました」

話を聞いていて、痩せこけて水を飲みに出てきて殺された日本兵たちが可哀そうでなりませんでした。合掌礼拝 南無阿弥陀仏
レイテ島だけでも10万人の日本兵が死んでいます。

僕の叔父はニューギニア島に派遣され、敗戦前には食料が尽きていた。
叔父は珍しいことに生きてニューギニア島から故国日本に帰ってきた。
「生きて故国に帰るタメニー、俺は蛇でもトカゲでも蛙でもなんでも食って生き延びたよ」
と叔父は僕に言っていたが、「虫を食った」とは言わなかった。ニューギニアの毒毒しい虫は、なんぼ餓死寸前の者でも食わないわな。

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