尼子の落人、平家の落人、平家と豊臣家と毛利家の厳島神社

広島厳島神社は負け組の神社という歴史的な背景がある。

僕の母親の実家は出雲国の奥の山の中にあった。
車どころか自転車も上がれないような深山幽谷に家があった。
親戚の人に言わせれば元々、広瀬の月山富田城の尼子家に仕えていたが毛利家に攻められて落ち武者になった。山の中をつたわって、奥出雲に逃げ延びて住み着いたそうだ。農民になっても、もともと武家だったから、禅宗のお寺の位牌堂では一番上に先祖の位牌が鎮座していたわな。落ち武者でも武士は武士ちゅうことか。

僕は母親の実家のそのまた山奥の、遠い親戚の家に行ったことがある。
目の前が断崖絶壁で風景が綺麗だった。
しかし、なんでこんな過疎の山の中にポツリと先祖が家を建てたのですかね?
と僕が聞いたら、もともと先祖が平家の出であり、いい国作ろう1192年に平家が滅亡し、源氏の天下になったとき、落ち武者になって出雲国の山の中に逃れたという話でした。恐いですよ。

前置きはさておき、厳島神社は平家の平清盛が造営した。

平家の守り神だった厳島神社は平家の滅亡を防げなかった。
戦国時代になると毛利元就が広島を地盤にしたので厳島神社を整備した。豊臣秀吉も厳島神社に膨大な銭を寄贈して千畳敷の巨大な建物を建てた。僕は秀吉が建てた千畳敷の建物で富貴栄光の身分になれるように祈った経験がございます。涙。

しかし、歴史は繰り返すと言います。平家滅亡の祟りなのか、毛

利家は関ケ原の戦いで徳川家に敗れ、天下取りに失敗し衰退した。豊臣家は秀吉の死後、徳川家に大阪の陣で負けて一族皆殺しにされ滅亡した。

平家、毛利、豊臣、負け組の負け戦の厳島神社の歴史です。
岸田氏がその歴史を知っていてゼレンスキー氏に広島厳島神社名物のじゃもじを送ったのなら、えぐいですよ。
ウクライナの負け戦を示唆して

「お前らも、いい加減なところで諦めたほうがいいゼヨ」

と岸田氏は言いたかったのかもしれない。恐い話ですよ。合掌礼拝。

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