岡田克也氏は昭和28年(1953年)生まれ。36歳のとき中選挙区の三重1区から1990年第39回衆議院議員総選挙に出馬した。
滑り込みの4位であったが当選した。
三重県桑名市と四日市市を地盤としていた竹下派所属の山本幸雄の後継者として出馬をしたから、当然竹下派の若手代議士となった。
当時、竹下登代議士の地元後援会青年部で選挙運動を手伝っていた僕は島根県自民党竹下派青年部代表として竹下派の全国若手運動員の泊りがけ研修会に出かけた。中選挙区だった頃の自民党は派閥ごとにまるで別の党であるかの如く、派閥候補対派閥候補で激しく戦っていたのだ。
この竹下派の泊りがけの研修会は山梨県選出の子泣き爺顔(水木しげる作品)の金丸信が仕切っていたよ。まだ若く美しかった山東昭子が華を添えていた。
そして当選ししなの若手ホープとして30歳代の岡田克也青年代議士がいたわな。
研修会と言っても夜の宴会パーティがメインだった。
金権政治の象徴だった竹下派の研修パーティだったから料理も酒も十分にあった。
僕は竹下派本尊様竹下登の地元島根県代表だったから他県の青年部代表が次々と酒を注ぎに来て気分がよかったです。
蛇足ながら金丸信代議士は、のちに金権体質ゆえに失脚した。
失脚した時、金丸信氏の自宅から膨大な量の金の延棒が見つかった。
子泣き爺金山信氏は僕がお会いした当時、富も権力も手に入れて富貴栄光の絶頂だったわな。人間は長い人生で浮き沈みするものですたい!
そういうわけで、まだ30歳代だった草笛青年は三重県から来た田舎青年岡田克也氏と車座になって酒を飲み、日本の政治、日本の未来を語り合った過去がありんす。
それがどうした?と言われば、野党の顏役だった岡田克也氏も政治家スタート時は自民党竹下派だったと言いたいだけです。
今回、ついに落選した野党のドン小沢一郎氏ももちろん自民党竹下派でしたよ。
与党議員だ、野党議員だと言っても、実は皆同じようなものなのですたい!!

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