株主総会物語

(2000年6月18日掲載)

株主は本来、その会社の主である。地主が土地の所有者であるように、株主は会社の一部分を所有しているのだ。しかし、日本の上場会社は一般株主を会社の所有者だなんて夢にも思っていないし、一般株主自身も、残念なことに、そういう意識がない。

僕は変わり者なのか、株を買うと、その会社の一部分を所有しているという気持ちになる。さすがに千株しか買っていないときは、そんなことを考えはしないが、一万株買うと、ちょっとしたオーナー気分になる。十億株の発行株数の大会社では、一万株はゴミみたいな存在だが、一千万株の発行株数しかない会社だと、千分の一を所有しているのだから大きな顔をして、会社に対し発言してもおかしくないと僕は考えるわけだ。

だから一万株以上買った会社にはオーナーの一員として会社を訪問することにしている。命の次に大切なお金を投資して、その会社を見た事もないというのは間違っていると僕は思うのだが、日本の常識では僕の行為は変わっていると見られるようだ。株主でわざわざ会社を見にくる人は少ないようで、今ほどIRという意識のない頃はひどい場合、総会屋と間違われているな、と感じるような応対を受けることもあった。

総会屋に間違われるのも悪い事ではなかった。商法の改正までは総会屋対策は総務課の業務のひとつで、対応は良かった。駅から電話して、お宅の会社へは、どういけばいいの?と聞くと、なにをおっしゃいます、当方からお迎えに上がりますので、そこでお待ちください、とくる。お昼前に行くと上寿司が出され、帰りには土産までいただき、ハイヤーで駅まで送ってくれる。そういうことが、しばしばあった。嘘みたいだが、料亭で接待を受けたこともある。そのときは、よっぽど僕の人相がその筋の人に見えたのだろう。自慢ではないが、僕の面相は小谷光浩氏によく似ているのだ。

商法が改正され総会屋への利益供与が厳しく罰せられるようになってからは、様子がガラッと変わった。会社訪問しても昼飯どころか、茶菓子のひとつも出なくなった。総会屋対策としてはやむを得ないことなのかもしれないが、本来、会社のオーナーである株主が自分の所有している会社を訪れて、お茶が一杯出るだけで、センベイの一枚もでないのは、ちょっと淋しく感ずることもある。

商法改正で総会屋を封じ込めることには成功したかもしれないが、それが企業をある意味で安心させ、株主に対しあぐらをかくような姿勢にしたという悪い面もあった。会社訪問をしたときの、会社側の応対が商法改正をに冷たく事務的になってきてオーナー気分で会社を訪れる僕のプライドがいたく傷つけられるようになってきた。

総会屋という毒があって初めて、力も発言権もなく虫けらのように思われている一般株主も存在感があったのかもしれない。
総会屋が一掃されたあと、会社の顔は大株主である親会社や銀行の方ばかりに向けられて、一般株主は虫けらのあつかいさえも受けられないといった存在に成り下がった。一般株主は尊重すべきというのは、建前だけで、言わば空気のような存在になったのである。僕はずうっと会社訪問を続けてきているので身をもってそのことを感じ、知り尽くしているのだ。しまいにはお茶さえも出さないで、立ち話で追い払うが如き態度をとる会社さえも、現れるようになってきた。

会社名を出すと、いろいろ差し障りがあろうが、東京の大田区にある古河総合設備という古河電工が59%の株式を保有している会社が上場したとき将来性があると思い買いつけた。早速、いつものように会社訪問をすると総務担当が座れともいわず、立ち話で応対するではないか。一般株主のことなどゴミくらいにしか考えていないと感じて、次の日の寄り付きで持ち株を全部売り払ったものである。今、四季報を見ると無配で100円台のさえない会社になり果てているが、一事が万事、ああいう、株主のなんたるかを認識していない会社なら今日の株価も致し方なかろう。きれいさっぱり処分しておいて良かったと安堵している。

会社の応対が悪いと感じたとき、普通は、翌日に持ち株を売り払って縁を絶ち切るのだが、それでは、話しがそこで終わってしまって物語にならない。
売り払うのではなく、買い増していって、株主軽視の会社側を震え上がらせるというドラマチックで胸のすくようなお話しをこれからお届けしようと思うのである。

バブルの足音がかすかに聞こえはじめていた頃、僕は関西にある川上塗料という会社の株を買いつけた。無配であったので株価は210円とか220円とかでうろうろしている不人気の株であった。しかし会社四季報を見ると3円の復配の可能性と書いてある。無配の会社が復配するときは、たいてい株価が上がるものである。安いところをこつこつと拾って一万数千株を取得した。
そこで、恒例の会社訪問にいそいそと出掛けたのである。

川上塗料は兵庫県尼崎市にあった。阪急電車の塚口駅を降りて、北に500メートルほど行くと、そこに本社工場があった。建物は古く、さすが無配を長期に続けているだけのことはあった。たいてい前もって電話して行くから、名前を告げたらすぐに応接間に通された。総務課の課長と取締役常務が、ようこそ、いらっしゃいましたと出迎えてくれた。
二部上場の小さな会社へ行くと結構役員が挨拶に出て来る。常務が挨拶するのだから、川上塗料の応対はまずまずに思えた。

「御社は長い間、株主に配当をしておられませんでしたが、この度、復配なさると聞き株を買わせていただきました。復配の件は間違いありませんね」
「四季報や新聞の業績予想では、そう書いてありますが、なにぶん昨今の厳しい経済情勢でございますから、はっきりしたことは申しあげにくうございます」こういう沈滞した会社は景気、不景気にかかわらず、いつも厳しい経済情勢を枕言葉につけて利益のあげられないことの言い訳をする癖がしみついている。

「厳しい厳しいとおっしゃいますが、関西の同業のロックさん、アサヒさん、イサムさん、それぞれちゃんと利益をあげて、株主には高配当で報いていらっしゃるじゃあないですか。御社には利益を計上して株主に喜んでもらおうと言う発想がかけているとしか思えませんね」

常務と課長の顔が一瞬こわばった。しかし次の瞬間、また慇懃な顔つきに戻って余裕のある返答が返ってきた。
「当社といたしましても経営者、社員が一丸となって、この厳しい経済情勢を勝ちぬく覚悟で頑張っておるつもりでございます。おっしゃるような株主軽視的な考えは毛頭ありません。さりながら塗料業界は価格の競争の激しいところでございましてあなた様の意に添いかねるような場合もあるかもしれません」

なんのことはない、今回も無配を継続する可能性が大きいと暗にいっているようなものだ。あてのはずれた僕は、これ以上話しても得るところがないなとあきらめて、応接間の作りに目を転じた。
古い建物の中の応接間だけあって見るべき家具調度品もなければ有名な画家の絵もない。
どうしようもない古ぼけた応接間であったが、ひときわ、目立つように掲げてあるものがあった。それは表彰状の入った額縁であった。野球大会ででも優勝したんかいな、と書かれている文面を読むと「貴社は防犯によく協力され…・・。○○警察署長」という警察からの表彰状であった。警察の表彰状をバックにした二人を、改めて見直すと自分が警察の取り調べ室で二人の刑事に尋問を受けているような錯覚に陥りそうになった。会社側の余裕はここにあったのだ、なんだかんだいうのも良いけれどわが社は地元警察と密接な連携を取っていますよ、と誇示しているのである。

こういう会社は結構ある。さえない会社に限って名画の代わりに警察の表彰状が掛けてあるものだ。会社にまで押しかけてくるのは、一癖ある株主なのだという先入観念が見え見えだ。投資家を重んじようなどという発想のかけらもないことが、これで分かった。復配もやりそうもないし、銘柄を間違えたな、そう思いつつも、折角きたのだからと工場見学をさせてもらった。工場ではペンキを混ぜ合わせる設備などを見せてもらったが、門外漢にとって、あまり興味がわかないものであった。それより5000坪の工場敷地に食指が動いた、塚口駅から、すぐのところで5000坪は貴重だ。しかも川上塗料は歴史の古い会社で簿価はタダ同然であった。

おりしも塚口は西武流通グループが作った「つかしん」という新しいタイプの商業施設で全国の注目を集めている町であった。
「配当はなくても、土地の含みで上がるな」僕はそう確信した。このまま引き下がれば警察の表彰状を並べて、株主を威圧しようなんていう古い体質の会社に尻尾を巻いて逃げ出した負犬になってしまう。株主がなんたるものか、この古い沈滞した会社に思い知らせてやろう。そう固く心に誓って会社を後にした。常務や総務課長はやれやれといった顔で僕を見送っていた。一万株やそこらの株主の分際で、のこのこ会社までやって来て御苦労さん。もう二度とこなくていいよと言わんばかりの余裕ある見送りであった。彼らの目には、とぼとぼと帰っていく田舎の小口株主の後姿が寂しげに写っていたに違いない。

山陰に帰ると早速、川上塗料のバイカイをとってもらい、売り物は片っ端から買った。僕のご託宣を信じる仲間にもどんどん買うように奨めた。株価は250円から270円の動きとなってきた。奨められて買っている仲間もジリジリ株価が上がって行くから上機嫌であった。株価の動きにつられて提灯買いがつき始め、年が明けると300円を示現した。

いいぞいいぞと仲間と祝い酒を飲み歩いていたが、ある日のこと川上塗料無配継続の発表がなされた。復配だと思って提灯をつけていた投資家の売りが五月雨的に出るようになり株価は下押しして260円台の動きに戻ってしまった。上がれば機嫌のいい仲間たちも態度を一変させる。
「おい、話しが違うじゃないか、俺はあんたの化けるという言葉を信じて300円近くで買ったんだぜ。化けるどころか下がる一方じゃないか。どうしてくれるんだよ」
このあたりのセリフはどこかで聞いたことのあるようなセリフだが、上がれば神様扱い、下がれば大嘘つき扱いは、どの株を手掛けても必ず普遍的に起り得る定説である。

「そう焦りなさんな。僕はもっと大きなスケールのことを考えているんだ。僕の作戦を信じなさい。文句をいう暇があったら、ここの売り物を果敢に買って、もっと持ち株を増やしておくことだね」
仲間のうちで多い人で5万株、少ない人で1万株から2万株といったところだが人数が多いので僕が買い集めた株数と合わすと60万株を越えた。名義は他人名義だが、名義書換のとき名義貸しをすれば、僕の名義で統一できる。実はこれが狙いであった。

川上塗料は三井物産の子会社で代代、社長は三井物産から天下りしているサラリーマン社長であった。こういうサラリーマン社長は自社株を3千株とか5千株しか持っていないことが多い、ひどい社長や役員になると持ち株ゼロという手合いもいる。そいう社長は親会社でのサラリーマン生活を終えて関連会社の社長を何年か務めてそこで大過なくすごして役員の退職金をもらって老後の生活の糧とするのだ。

彼等は、ミスをしないことが目的となっており、新しい事をやって会社を発展させようとか株主に報いようなんて発想は毛頭ありはしない。だから天下り先の会社の株を買おうとしないし、買ったとしても、いい訳程度の数千株しか買わないのだ。

2月末、株主総会の招集があった。川上塗料は11月決算なので2月に株主総会が行われる。招集状に書かれている僕の保有株数は前年11月の段階のものなので1万株にも満たない微々たるものであった。会社側はそんな超小口の株主の存在など歯牙にもかけていなかった。

株主総会が始まった。どこでも同じだが、社長が議長を務め中央の壇上に座っている。そのまん前のあたりには社員株主や取引先の株主が最初から陣取っている。そのうしろには背広姿には違いないが、サラリーマンとはちょっと違う雰囲気のする総会屋らしき人達。
商法が改正されても総会屋は経済レポートと銘打って会社に内容のない経済誌を定期購読させたり、海の家、山の家を建てて、使いもしないのに借りさせたり、会社の観葉植物を納入したり、雑誌を発刊して広告をもらったりして、商取引のかたちをとって会社から金を受け取る方法を編み出した。川上塗料がそうであったとは、言わないが、そういう付き合いをしている会社が散見された。直近では、クボタであったばかりだ。

議案が上程される度に「異議なぁ~し」の声が議場に響きわたる。発言しようにも最初はなかなかタイミングが掴めない。
はじめて株主総会に出席した一般株主は社員株主と総会屋の「異議なぁ~し」
の合唱に圧倒されて大概ビビってしまう。それでもと発言しても「議事進行~!」の声にかき消されて取り合ってもらえない事もある。かっては決算が今のように3月に集中していなかったので、毎月のようにどこかで株主総会があった。、僕はあちこちの株主総会に出て、度胸だめしに発言はしていたから、タイミングを外すようなドジは踏まなかった。

議事が利益の処分案にきたとき、頃合を見計らって「議長~~!」と大声を発する。「議案の配当見送りに反対するとともに、社長の経営責任を問いたい!」
会社側もまさか、小口の株主が、そんな大口を叩くとは予想していなかった。
会社側の株主が議事進行を促そうとするが、機先を制して発言を続けた。
「私は今日の株主総会招待状では小口の株主でしかないが、現在、この会社の実質、筆頭株主であります。わたしの発言を筆頭株主の言葉として重く受けとめていただきたい」
この一言で一旦ざわめきかけた議場がし~んと静まり返った。

歴戦の凄腕の総会屋がその場にいたとしても、1社当りの持ち株は数千株がやっとである。商法改正で単位株制度が導入されるまでは、1000株を端株に分けて大人数で総会に出席していたくらいだから、1000株単位で株を持たねばならなくなったとき資金がなくて総会屋を廃業する者もいたのである。筆頭株主として発言する、の一言で会社側の株主集団は戦闘意欲を失ってしまっていた。

一般株主席に座っている無名の株主が、そういう発言をするのを聞いたことは多分一度もなかったのではなかろうか。議場のすべての人が唖然とした表情で僕をみつめるのであった。
実は筆頭株主で川上塗料のオーナーである三井物産の持ち株は60万1千株であり、この株数を意識していたのである。

「社長、あなたの経営努力が足りないから、我々株主は長い間、増資も配当もない状態で報われることがない。三井物産は人材の宝庫のはずです。配当も出来ないのなら、さっさと社長をやめて、もっと優秀な社長を物産から連れてきてもらいたい。これは筆頭株主の意思であると心得られたい」

社長は額に脂汗を滲ませ、震える声で回答した。
「おおせごもっともであります。わたくしをはじめ役員一丸となって業績の回復を図り早期に配当も実施し、株主の皆様に報いなければならないと…・」
「能書きはもう聞き飽きました。まあ今回は無配でも仕方ないですが、来年の株主総会では復配の報告を聞かせて貰えるでしょうね」
「はい、最大限の努力を致しまして、必ずや配当を行います」
ついに、社長の口から復配の約束を取りつけた。だがここで引き下がってはまだ完全とは言えない。

「株主に報いようという誠意ある言葉を聞いて、感謝の気持ちで一杯でございます。念のために、お尋ねしておきますが万が一、お約束をたがえるようなことがありましたら、責任はどう取っていただけますでしょうか?」
「間違いなく復配いたしますとお約束した以上、それが出来なければ社長をやめます」
この社長の発言で議場は再びざわめいた。僕は満足して着席した。

それから一年、川上塗料はまたしても無配の発表をした。僕は激怒したがこいうときほど冷静さが必要だ。会社に電話して、常務を呼び出した。
「やってくれますね。あれほど株主に報いると約束されたのに、またも無配とは。僕にもいちど総会で一席ブッてくれということですか?」
「いいえ、約束は守りました。社長はあなたとの約束を守って辞表を出されました…」

そのあと三井物産から来た新社長は前社長の轍を踏まぬよう、約束どおり業績を上げ1年後復配を実行した。1株利益14円配当3円、これで十分だった。バブルの到来で株式市場に個人投資家の資金が流入し始めていたので、業績の劇的変化と工場の含み(東京にも工場を持っていた)がはやされて株価は925円までハネ上がった。

この株を共同戦線を組んで買っていた友人たちは、僕を大嘘つきと責めた事をコロっと忘れて、儲かった、儲かったと小躍りして喜んだ。僕も一連の作戦の成功で、それなりに儲けさせてもらった。
しかし今にして思えば、儲けた金は、いつか消え行く運命にあるものだった。
それよりも、あの株主総会の席上、三井物産を凌ぐ筆頭株主として株主の権利をとうとうとブチ上げて、株主軽視の会社の心胆を寒からしめたことの方がずうっと価値あることであったと思うのである。       
         
                                    株主総会物語  完

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