人は平等な機会を与えられるべきだが結果に関しては平等ではない

平等を強調しすぎると社会が変になる

共産主義がなぜ失敗したかと言うと人を平等原理主義で能力差、努力差を認めなかったからです。
努力しても報われないなら、誰も努力しなくなり社会全体が貧乏になってゆく。

中国は経済に関しては日本から学んで共産主義から資本主義に転換してから発展した。

資本主義国の日本では、政治の世界だけは世襲制度を採用しているが経済分野では個々に平等な機会が与えられている。
老後に裕福な生活を送る者と老後貧乏にあえぐ者の差があるがそれは若い時からの個々の生き様の結果である。

例えば、今は株式が毛嫌いされていて、黒字有配企業の株券が1枚100株1万円余りで取得できる。

ここに若者がいて、毎月1万円ほどを節約して1枚100株の黒字有配株をこつこつ買っているとする。
ここに酒飲みでパチンコ好きな若者がいて、給料を毎月、酒やパチンコで使い果たし、1万円の銭さえも貯蓄や投資に回さないで楽しく暮らしていたとする。

たとえ1枚100株であっても毎月黒字企業の株券を買っておれば50年後には6万株の株券を保有している。配当を再投資したり分割があったりして10万株以上の株券保有者になっているだろう。

一方、毎月最後の1万円さえも酒やギャンブルで使い果たして楽しく暮らした若者は老後には貧乏人になり淋しく暮らす羽目になる。

貧乏な老人を救えと風に向かって叫んでみてももう帰らないあの若き日 ザワイルドワンズの心です。
株を買う自由、貯蓄をする自由、機会は万人に平等に与えられている。

その機会を生かすことなく安逸に生涯を送った者が「資産持ちの老人と貧乏な老人の差は許せない!不平等だ!」と言うのはお門違いです。老後に貧乏であるぶんだけ、若い頃余分に無駄使いをして楽しんできたのです。
そういう意味で人の一生はトータルでは平等なのです。合掌礼拝。感謝。

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