テニアン島訪問記 第7章

ともかく、鈴木氏の運転でテニアン島縦断の戦跡巡りをすることになった。
南北20キロ、東西5キロ程度の島は一面が雑木林(ジャングル)になっていて、道路の両側の風景は単調だった。北に向かい、まず日本軍の弾薬や物資を保管していた大きな倉庫に案内してもらった。

日本人住民が全員強制退去させられてしまった島なので、保管倉庫は無人の荒野にポツンと建っていた。
清水建設が建てた立派な倉庫で、コンクリート壁の厚さが60センチ以上あった。米軍の爆撃に遭っても壊れずに当時のまま残っていた。戦前の日本はこんな南の孤島にこんな頑丈なコンクリート建造物を作っていたのだ。
この建物は今後千年経っても、テニアン島が日本の統治下にあったことを証明する遺跡として存在するだろう。

次に「日の出神社」という石碑のある神社に連れていってもらった。
日の出神社は南洋興発という会社が作った広大な敷地の立派な神社だった。
南洋興発はサイパン島とテニアン島でサトウキビから砂糖を製造する会社だった。南洋興発は「北の満鉄、南の南興」と称された大日本帝国の国策優良企業だ。
最大時の社員数4万8千人。まさに満州鉄道と同規模だったのである。

日の出神社には一の鳥居と二の鳥居があり、一の鳥居から本殿への参道の長さは100メートルはあった。
鳥居と灯篭は完全な形で残っていたが、本殿はコンクリート作りの階段と土台だけになっていた。
僕は日の出神社の本殿の階段を昇って、トラスト聖戦、C&G聖戦の必勝を祈った。
満州鉄道を凌ぐ勢いだった南洋興発の栄耀栄華にあやかりたい、あやかりたいと必死に祈った。

神社の境内は日本人慰霊団を意識して草が刈られて、そこだけ綺麗だった。
戦前は神社の回りは日本人移民の手で立派な畑として開墾整備されていたのだが、今ではもとのジャングルに戻ってしまっていた。もったいないことである。合掌礼拝。

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