第二次ヤルタ会談 ウクライナ終戦を米露で協定する場所になるか?

日独が対米戦争で敗色が濃くなった1945年2月ヤルタ会談が行われた。

アメリカ大統領ルーズベルトはソ連領土まで出かけて、日本への参戦をソ連のスターリンに頼んだ。
スターリンは樺太南部、千島列島のロシア領編入を条件にした。
アメリカが樺太南部、千島をロシアに与える約束をしてソ連の対日戦争参戦が決定。実はソ連と日本は不可侵条約を結んでいた。
ソ連が背後から攻めて来ないことを前提に日本はアメリカ領のハワイ島襲撃!
アメリカ領のアリューシャン列島、フィリピン占領を行ったのであった。

ヤルタはクリミア半島の南端、黒海を臨むソ連随一のリゾート地であった。
ヤルタ会談の会場となったリヴァディア宮殿は、クリミヤがロシア帝国領だったとき、ロシア皇帝ニコライ2世の別荘(離宮)として1911年に建造されたものである。
建造から6年後にロシア革命が起きて、クリミヤはソ連領土になった。

ソ連のフルシチョフ時代にロシアとウクライナは同じソ連だったので行政区として旧ロシア帝国領だったクリミヤをウクライナに属させてしまった。
ところが、ソ連が滅亡したために、クリミヤの領有権を巡ってロシアとウクライナが争う事態になった。
今回のウクライナ戦争の遠因はクリミヤ半島の領有権をめぐる争いです。
歴史的にクリミヤがロシアの領土であったことは、ロシア皇帝の宮殿があったことやヤルタ会談がクリミヤ半島で行われたことで分ります。

プーチンとしてはクリミヤ半島がロシア領であることを再び世界に周知させるため、アメリカ大統領トランプをヤルタに招いて、第二次ヤルタ会談を行いたいだろうと霊視します~~↑

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