昭和ブラックマンデーは恐くなかった

恐かったのは山一證券と拓銀と大手生保が倒産したときだった
昭和ブラックマンデーはすぐに回復したが・・・
そのあとにホンマモンの地獄が待っていた。

1990年代に山一證券、三洋証券、拓銀、日債銀、徳陽シテイ銀行
各大手生保が倒産したときは恐かった。
今の株式市場では倒産事件は少ないが、1990年代の上場会社はどんどん倒産、破綻して逝った。

ここが底だろうとナンピン買いした銘柄がさらに下がって行った。
まさか倒産はないだろうと思って買った銘柄が倒産して逝った。
だから1990年代に株式投資をやっていた者は皆が貧乏になった。

僕は1990年代、信用買いしていた銘柄を期日迎えごとに損金を払い、
クロスオーバーして次の6か月間に期待した。だが、さらに下がって
ぬかるみに嵌まった。大損した。それで信用買いはヤバいと達観してやめた。

銀行株だけはつぶれないと誤解して、最後は現物株保有路線に
切り替え300円台で黒字で5円配当をやっていた徳陽シティ銀行10万株
黒字4円配当をやっていた株価400円前後の甲子園土地10万株に集約した。
これで毎年安定的に配当収入が入ると、ひと安心していた。

しかし事実は小説より奇なり。その2社さえも倒産、廃業になった!
山一證券の株券も株価3000円台から株価110円まで下げたとき
まさか二桁はないだろう、倒産はないだろうと思って買ったら、
倒産してしまい、泣けてきた。

今回の令和ブラックマンデーは昭和ブラックマンデー以上の大暴落だった。
この傷跡は癒えることなく、時間をかけて個人投資家破滅に
向かって行くこともありうると考えておいたほうがいいかもしれない。

昭和ブラックマンデーのあと一時的に日経平均は戻ったが、
そのあと日経平均はじりじり下げて3万円安の地獄を見た。
そのために株をやっていた者は皆が貧乏になった。

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