北海道阿寒湖川湯温泉と硫黄山と大鵬

川湯温泉、、、大昔の旅を思い出した。

小売店店主時代に僕はお得意客を連れて団体旅行で網走、阿寒湖あたりを観光旅行した経験がある。阿寒湖のマリモを土産として持って帰ったわな。

どこに泊まったのか忘れていたが
のぶりんの川湯温泉廃墟化のyoutubeを見て
僕が川湯温泉に泊まったのだと分かった。おめでとうございます。
温泉のそばに硫黄山があって、岩肌から熱泉や硫黄の煙が噴き出していた光景がハッキリと僕の脳裏に刻まれていた。
横綱大鵬の記念館にも行ったような記憶がある。

なんで大鵬記念館が最果ての地、阿寒に建っているのか?
読者の為に小一時間、説明いたします。

日本でもっとも有名な横綱だった大鵬はロシア人と日本人母親の混血児だと長い間言われて来た。
実は父親はウクライナ人だったのだが、ウクライナは長い間ロシア帝国、ソ連の一部だったので
日本ではウクライナ人もロシア人と呼ばれていたのだ。

ウクライナ人はロシア帝国時代からソ連時代までコサック部隊と言う名の兵隊にさせられていた。
日露戦争もソ連の満州樺太侵略もすべてウクライナ兵と日本兵の戦いだったと知って隠岐魔性!

大鵬の父親もコサック部隊の兵士だったが、共産主義を嫌って日本領樺太に亡命。日本人女性と結婚して大鵬が生まれた。

しかし幸せな時間は短かった。ソ連軍の満州樺太侵略で樺太はソ連領に組み込まれた。共産主義を嫌って日本領樺太に逃れていたウクライナ人である大鵬の父親はソ連共産軍に連行され生死不明となった。多分反革命分子として銃殺刑になったのだろう。

日本人の母親は幼児だった大鵬を抱えて樺太から脱出して北海道に渡った。そして落ち延びた先が阿寒湖、屈斜路湖のほとりだったのである。母子家庭で極貧生活だった大鵬少年は飯が腹一杯食えるという誘いに乗って相撲界に入った。

それがどうした?と言われれば、のぶりんの日本全国廃墟巡りのおかげで昔、日本国が栄えていた時代に僕が日本全国を旅した記憶を思い起こさせてくれてありがたい、ということを言いたいのです!
川湯温泉も僕が行った頃はすごく栄えていたと瞑想します。

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