日本のDRAM歴史

1. 日米半導体協定による外圧で日本のDRAM優位が崩れた
1980年代、日本は世界DRAMシェアの約50%を握る圧倒的王者でした。
しかし米国は日本の台頭を脅威とみなし、以下の強烈な圧力をかけました。

・輸出価格の制限
・外国製半導体の国内シェア20%義務化
・懲罰的関税(最大100%)

これにより日本企業は価格競争力を失い、投資余力も低下。
韓国(サムスン・SKハイニックス)と米国(マイクロン)が恩恵を受けました。

2. 韓国企業の「反周期投資」戦略が日本を圧倒した
韓国企業は、メモリ価格が暴落して業界が不況のときにこそ 政府支援を背景に巨額投資を継続 しました。

・不況時に増産 → 競合を価格競争で圧殺
・規模の経済でコスト優位を確立
・DRAM市場を寡占化(現在は韓米3社で95%以上)

日本企業は逆に、バブル崩壊で投資が保守化し、技術者流出も加速。

バブル崩壊後不況が長引いたのはどこのせい?
外部要因だから仕方がない訳ありゃせんで、三重野、澄田あたりは極刑が相当でしょう。
万人殺しの戦犯ぞ。

3. 日本企業の意思決定の遅さ(統治構造の問題)
日本企業は 巨額投資を迅速に決断できない企業がほとんどです。

・韓国企業:財閥系の強力なトップダウンで即断即決
・日本企業:事業部門の調整に時間がかかり、投資判断が遅れる

私がよく言うサラリーマン社長はダメ、オーナー社長じゃないとというところですね。

判断に一族郎党の命がかかってる気迫がないと長期的な経営判断はできませんよ。
サラリーマン社長は自分の任期だけ上手くやればよいのです。

といったところでいかがでしょうか。

一番大きいのは金融政策の失敗。
バブル後の30年に及ぶ不況が国を滅ぼしたのでしょう。
そして今も再び金利を上げようとしている。
反省もなく同じ過ちを犯し続ける国家運営、日本の寿命はもう残り少ないでしょう。

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