草笛楽円教教義 経済編

人は労働により、自分の食い扶持と妻子の飯代を稼げるように
地上神が定めている。しかしナチスのプロパガンダで
「働け!働けば自由になれる」と嘘を言っていたように
人は働いても自由になれない。労働者はアウシュビツの囚人と同じでなんぼ働いても自由になれない。働きながら死に至る。

もしも労働によって富が生まれるのなら地球上の労働者は皆が富貴栄光の身分になっている。現実には労働者は千年働いても富貴栄光の身分にはなれず、社会底辺を構成するだけである。

労働者はつねに余っており、労働者の一日の労働に対する報酬は常に家族が飯を食える範囲内に留まるのである。それが地上神の摂理だ。

それでは富は何から生まれるかと言うと、「富は資本から生まれる」のだ。
もしも労働者階級に生まれた者が富貴栄光の身分に成り上がりたいのなら労働で得た小銭を使わず積み立てて、小さいながらも資本を蓄積し高利率債券や高配当低位株(6633CGS 3945スパバ)に投資し自分が働くのではなく、資本に働かせることをやるべきだ。

僕が若かった頃はマルクスレーニン主義が流行っていて、僕も無学無知ゆえに労働価値性を盲信していた。家が貧しかったので早く働きたいと思った。
それで工業高校に行って高卒で働く気だった。

しかし父から「貧乏人は学歴を得て成り上がるしかない。大学へ行け」と叱られた。それで学費がほぼタダみたいな(月千円)国立大学に行った。
奨学金とアルバイト労働で大学に通い、貯金もした。大学一年のとき埼玉銀行に30万円の銀行定期をやって初めて金利収入を得た。

大学の経済学部で近代経済学を学んで、富は労働から生まれるのでなく資本から生まれる!!と僕は個人的に喝破したからであった。
労働だけやっていたら、その人は一生、富貴栄光の身分にはなれない。
資本(お金)に働かすようにすることで富は生まれることを知るべきだ。

しかし、地上神はすべての人を富貴栄光の身分にする気がない。
人間にはいろいろあって、富もいらない、肩書もいらない、名誉もいらない気楽に清く貧しく美しく生きて、花をめで、大空を流れる雲を眺めて暮らしていたいというタイプの人間が多いのだ。

人の世は、向上心とか成り上がりたいという欲がない人間が大半だ。
地上神はそういう大半の人間を貧乏人として地上に配置するのである。神の摂理です。
楽円教でいうところの「幸せな貧乏人たち」であります。おめでとうございます。

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